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共生山 極楽院 月影寺(げつえいじ)

連載法話

  

日々の些細な気持に寄り添って(講演録)

 
 仏教情報センター「いのちを見つめる集い」(VOL.211)
      浄土宗常任布教師、月影寺住職 藤井正史(しょうし)師

今日はどうか宜しくお願い致します。
皆さまはそれぞれにご宗旨があろうかと思いますけれども、合掌していただきまして、初めに、十遍お念仏を称えさせていただきます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏……。

 私は仏教情報センターで浄土宗相談員の一人として一年に数回電話相談を受けております。また、普段は布教師という立場でございますので、お寺の行事などで、法然上人のお話をしたり、お釈迦さまのお話をしたり、お経の話をしたり、そうして皆さまに仏さまの教えを伝えていく役目をさせていただいております。でも今日はお説教ではないので、もっと広い範囲で、詩歌や小説なども交えて仏教の話ができればいいなあと、楽しみにしてまいりました。
 今日お話をするにあたって改めて《いのち》って何かなあと考えました。いろんな説き方があると思いますし、人によって捉え方が違うと思います。私はというと全く文系の人間で、理系的な考えは苦手なほうでございますので、ごく日常的に自分のいのちを考えた時に、例えば今朝起きて「昨日の台風で落ち葉がすごいだろうから家の周りを掃かなきゃな」と思ったり、「各地の台風の被害状況はどんなかな」と思いながらテレビをつけたり、そういう普段の何気ない日常でのこういった自分の中の気持。そういうものが《いのち》そのものだと思うのです。
 今はラーメン屋のご主人なども制服のようにして着ている作務衣(さむえ)、あれは本来、坊さんが雑事(=作務)をする時に着るものなんです。本堂や境内の掃除、仏具磨き、その他細々とした用事がお寺にはたくさんあって、そういう時に着るんですが、その時の心得として私たちが教わったのは、その時するべきことに集中しなさいということでした。ご飯を食べる時には食べる事に集中して食べる。これは他の生き物のいのちを取っているわけですから。それから掃除をする時にも掃除に集中する。この一瞬一瞬が自分のいのちなのだからそれを大切にするんだよというふうに教わりました。ですから掃除も「あと三十分でお勤めが始まる、それまでに仕上げてしまわなければ」というのではいけないのです。勤行も大切だけれども掃除も大切。「一掃除二勤行」って昔から言います。
 我々はお悟りを得たわけでもないし、仏道修行といいながらいつも怠けている自分がいたり、いろいろ悩んでしまう自分がいたりします。そういった日常の些細な気持の積み重ねというのを仏教の力で、信仰の力で、お悟りの力で乗り越えなきゃいけないものなんですけど、なかなか乗り越えられないのであれば、まずは、乗り越えられない自分というのをちゃんと見つめることが大事ではないかと思うのです。そういうところで私が感動した話をいくつか聞いていただきたいと思います。

 普段、自分がいつ死ぬんだろうってあまり考えませんよね。考えても判らないですよね。ご病気を抱えている方もおられるとは思いますけれども、我々のいのちというのはいただいているいのちだから、判らないとしか言いようがないと思います。そこを「いつ」と考えても仕方がない。
 けれども私は浄土宗の僧侶でございます。浄土とは何かというと極楽浄土のことです。この世でいのちを終えたら阿弥陀さまに導かれて行く処でございます。それがなかなか信じられないという方もいます。でも私は子供の頃から、教義的には判らないままに、そういうものだと思っていました。理屈じゃないと思うんです。
 いろいろな事を理屈で考えてしまうとどんどん悩みにはまってしまうことがあると思います。自分のいのちがいつまでだろう、どういうふうに最後を迎えるんだろうと考え過ぎても、それこそ病的になってしまうかもしれません。ここはやはり、一日一日、刻一刻と一所懸命生きていくしかないと思うのです。その一所懸命も人によって違います。その人なりの一所懸命があるわけです。
 私は以前、仏教系の中・高校で教員をしておりまして、そこで生徒にいのちの問題を考えてもらいたい時、「この教室の中でみんなが一緒の事、それはいのちの問題だ。私たちは生れた時から刻一刻と、時限爆弾が爆発する時を待つように、死に向かって進んでいる。これだけは確かだ。ただ都合が悪いことに年齢の順番でもなく、善い事をしているから長生きで、悪い事をしているから早く死ぬというわけでもない。ということは、これは我々の計らいではないのではないだろうか。だから我々は日々悩んだり、嬉しかったり、楽しかったり、つらかったりしながら毎日毎日を過ごして、最後は仏さまの導きをいただくしかないのではないかと思う」と話したことがあります。

 私自身は高校生の頃、受験勉強をしたくないから、いろんな本を読みました。その中で今でも好きな作家を何人か紹介したいと思います。
 まず、大阪の法善寺横町を舞台にした『夫婦善哉』の著者・織田作之助。この方は無頼派と呼ばれ、太宰治なんかと同じ世代で活躍した人です。結核で昭和二十二年に三十三才で亡くなるんですけれども、その少し前、もう大変な状況になってからメモを残しています。
「死ぬこと、死ぬることを忘れていた」
生れた時から死ぬことは決まっていたのにそれを忘れていた、と。自分の目の前に、もう死というものから逃れられない状況となった時、この言葉を書きつけたのでしょう。
自分の死や最期というものを心の中に見据えて生きるというのも大切なことだと思います。そうすると、うまくいかないかもしれないけれども、自分の死というものに納得できるところが出てくるのではないでしょうか。死に対して、受け入れるということは自分のいのちを受け入れることです。いつか死を受け入れなければならないという我々のいのち。ということは自分の日々のこのいのちを、失くなるまで頑張っていこうということではないかと思います。
 人にはそれぞれ背負った業というものがあり、健康に生まれる人もあれば、どこか身体が弱いまま生まれてくる人もいる。貧乏な家庭に生まれる人もいれば、何でも手に入る裕福な境遇に生まれてくる人もいる。それぞれ背負ってきたものが違うと思うのです。そのつらさというのは人に言っても絶対判らないですね。自分にしか判らない。
 ラジオの子供電話相談室で有名だった無着成恭さんという曹洞宗のお坊さんいます。テレビで、「自分の業というものを受け入れた時から本当の自分の人生が始まる」と話しておられました。他の人を見て、あの人はこんな事も楽にできるのに自分はなぜできない境遇なんだろうなどと思っても、自分の人生、自分らしい人生は始まらないんです。
 無着先生のこの言葉は大変厳しいものだと思います。でもその時、私はその言葉に納得しました。友達が自由に生き生きとやっているのに、何で自分は他の人がやらないようなことをしなければならないんだろうと思った時期もありましたけれども、これが自分なんだな、これは自分のいのちを全うしなければいけないんだなあと、自分なりに納得できました。
 人がどういうふうに生きて、どういうふうに死んでいくかというのは、その人の人柄というのがやはり出ると思います。「生き様」だけでなく「死に様」という言葉もあります。我々僧侶の世界でも、祖父や父の最後の姿というのを心に刻んで生きていく住職もいると思います。それは在家の方も同じだと思います。父や母がどういうふうに生きてどういうふうに死んでいったか、それを見せてもらえるのは有り難いことだと思います。いつも近くにいる家族とかとても縁の深い人だけですからね、見せて貰えるのは。
 今年の二月、年間二百五十回もいろんな所でお説教をなさっていた布教師の大先輩・正村瑛明上人が遷化されました。「いのちが助からないと覚悟を決めた時、助かったと思った」と「ただひたすらお念仏を」とおっしゃって、お念仏を称え、大変穏やかなにこやかな顔で最期を迎えられたそうです。私も布教師ですからいろいろな所で「皆さん一所懸命、南無阿弥陀仏……とお念仏を称えてください。必ず最期には阿弥陀さまがお迎えに来てくださいますよ」と話していますが、それを身を以って示して下さった方でした。

 生き様・死に様というのはまさにその人の人柄が出ます。その姿を大切に受け留めなくてはならないと思っています。
 有名な『檸檬』の著者・梶井基次郎の最期の場面もすごいものを感じます。彼も結核で若くして亡くなるんですけれども、その姿を中学生の頃に読みまして、死ぬってこんなにつらく大変なことなのかなあ、でも立派だなあと思いました。しかしその思いも、私も四十代後半になり友人や後輩が亡くなるなどを経験して、やはり少し変わってきて、もっともっと深いものがあるなあと思うようになりました。
 梶井は三十一才でお母さんの元で亡くなりました。肺結核の痛みで、周りに「苦しい、助けてくれ」と訴え続けていました。もう耐えられなくなって、夜中、弟さんにモルヒネを見つけてきてくれと頼みもしました。弟さんは四方八方駆け回って探してくる。それを兄に与えるわけですがもう効かないんです。そんな息子を見てお母さんは「お前の息苦しさを助ける手だてはもうこれでし尽くした。これまでしても楽にならぬのでは仕方がない。しかしまだ悟りというものが残っている。もし幸いにして悟れたらその苦痛はなくなるだろう」と、今まさに亡くなろうとしている息子に向かってこう言ったのです。そうすると基次郎さんは「うーん」と言って瞑目します。そして「判りました。悟りました。私も男です。死ぬなら立派に死にます」と言って目を閉じて最期を迎えるんですけれど、目には涙が浮かんでいたそうです。
その涙を見たお母さんが、可哀想なことを言ってしまったなと思っていると、基次郎が苦しい息の中を途切れ途切れに「お母さん、何も苦しいことはありません。この通り平気です。しかし私は恥ずかしいことを言いました。(弟さんに向かって)無理を言いました。どうぞ許してください」と言い、あとはそのまま眠ったように亡くなったそうです。
 本当につらそうな、孤独感というんですかねえ、どういう悟りがあったのかは判りませんけれども、ここで覚悟を決めたんでしょうね。自分はもうこの苦痛から逃れることはできないだろう。であるならば周りに迷惑をかけず、無理を言わず、自分を自分としてちゃんと死のうというふうに死を受け入れた姿だったと思うのです。
 仏教ではいろんな言葉がありまして、一つに「正受(しょうじゅ)」という言葉があります。これは頭で理解することじゃないんです。理屈じゃなくて、自分がそのものになりきってしまうことをいうのです。禅であれば禅定(ぜんじょう=瞑想状態)に入ること、お念仏であれば三昧の境地に入ることを正受というんですけれども、このような姿だったのではないでしょうか。
 織田作之助も梶井基次郎も、死というものが身近に感じられないような若さでいのちを終えたわけですけれども、梶井にはこんな言葉もあるんです。今日のテーマはここからとりました。「ほんの些細なことがその日の幸福を左右する」と。
 自分の心の動きというものを克明に記した作家だったんですね。
 これは仏教の修行でもありますけれども、自分の心の中にいろいろ浮かんでくるものをなるべく客観的に、なるべく感情的に陥らずに見て行くと、その感情というのを抑制できるようになります。カーッと怒っている時は自分のことなんて客観的に見れませんよね。だけども、ああ怒っちゃったな、切れちゃったなと思えば少し冷静になれるのではないかと思います。こうした日頃の些細な気持。その連続した先に臨終、いのちの終わりというところを迎えるわけです。ですから些細な気持ちというものを大切にしなければいけないと思うのです。
 今回の東日本大震災も、毎日毎日繰り返される日常の中で、当たり前の一日の中で、急に、当たり前の次の日が来れない事態が起きたわけです。朝「行って来ます」と会社や学校へ行って、その午後、数時間後には夕食を共にするはずだった家族がもう一生会えないという…。これはもう他人事ではないわけで、皆さんも自分の事として考えになるようになったと思います。
 日頃の些細な気持の連続した先にいのちの終わりを迎えると申しました。まあ、自分の最期を考えても無駄かもしれませんけれども、でもやはりどういうふうに迎えようかなあって思いますよね。これからは医療の問題、住宅事情等が複雑に関ってくるでしょうね。でも昔はモデルケースがあったんです。
 昔はほとんどの方が自分の家で産まれて、そしてお家で亡くなっていきました。今は病院で産まれて病院で亡くなるのが普通ですよね。そうすると日常の生活の中で家族が亡くなることもなく、そこで子どもが産まれることを身近で見ることもないわけです。
 私の祖父は在家からお坊さんになって、長野や岐阜のお寺で住職をした後、昭和四十〜五十年代には三河(愛知県岡崎市)の大樹寺で住職をしました。ここはお念仏の信仰がすごく篤い地域でして、檀家さんは、家族が危篤になると夜中でも山門をたたいて住職を呼びに来るんです。そしてそのお宅へ行きまして、床に伏している方をご家族や親戚や親しい人たちみんなで囲んで一緒に南無阿弥陀仏と一所懸命お念仏をする。昔はそういった中で亡くなっていったんです。それはそこに居る人たちにとって、どういうふうに亡くなっていけばいいのかを教えてもらえる場でもあったわけです。
 今は、大変悲しい話ですけど、住宅事情というのでしょうか、病院で亡くなってもご自宅に帰らず、そのまま火葬場に行ってお通夜・葬式なんていうのもあります。そうするともう本当に日常生活というところから切り離されてしまって、日々の連続のところで、その一番先がこの世の終わり、自分はいのちを終える、という考えにならないと思うんです。

 私は僧侶として一応の資格をいただいた後、増上寺の山内にある心光院のご住職・戸松啓真(後の鎌倉にある大本山光明寺の御法主)師に弟子入りして修行させてもらいました。その頃、私が初めて火葬場に行った時の事です。あるおばあちゃんの棺に孫がとりすがって泣いてパニック状態になり、棺をなかなか炉に入れられませんでした。後でそのことを戸松先生に話し、「家族が亡くなるってあんなにつらく悲しいものなんですか」と問いました。私の家系は長生きなものですから、その頃は未だ身内を亡くす経験をしていませんでした。とはいえ呑気な話ですよね。戸松先生は少し呆れ気味に「君は幸せだなあ、それは辛いよ」と言われました。もう亡くなっていることは判っていても、ご遺体を荼毘に付すということが耐えられないくらいつらいんですよね。
 戸松先生はお寺の坊ちゃんとして生まれたのですが、兵隊に行って、シベリアに抑留され、大変な苦労をなさっています。仲間の兵隊がどんどん死んでいく。すると坊さんだからということで埋葬について行く。しかしお経をあげたりお念仏したりというのはソ連兵が許さない。だから合掌するぐらいしかできない。そんなつらい経験をいっぱいしてきた方ですから、生き死にの心得というか、心があったんだと思います。また、それぐらい死というものに接しないと、「死」って判らないものではないでしょうか。
 ですから私は、死ぬ時はなるべく家族と一緒に、そして最期の場面まで見せて死ぬ。それが務めだと思っています。昔は臨終行儀といっていろんなやり方がありましたけれども、今はそんな事も叶わないと思うので、自分の生き死にというものを見せることが大切な事のように思います。
 この生き死にの問題は生老病死の一つですから、四苦八苦の四苦ですね、生れてきて、老いて、病んで、そして死を受け入れなければならないわけで、誰しもが避けることはできません。
 こういうふうに言うと、いきなり死ぬ人だっているじゃないかって屁理屈をいう生徒もいましたが、勿論そうです。老いる前に失くなるいのちもあります。子どもが虐待で亡くなったなんてニュースも聞きます。
 たいへん悲しい、そういったいのちではありますけれども、生れてきたかぎりは、こういう、いのちの背負っているものを受入れ、そして大切にしていかなければならないというのが、我々の《いのち》だと思います。

 もう一人私の好きな方を紹介します。乳癌と十年ほど闘って昨年亡くなられた歌人の河野裕子さん。この方は診察がどうだったとか、病院のベッドで何を思ったとか、或いはお家での生活など、とにかく日常の細々とした心の動きを実にたくさんの歌に詠んだ方です。病気と闘いながらのその精神力に、歌を詠む方というのはこんなに強いのか、それともこの方は特別なのか、といろいろ思ったりしながら毎日少しずつ、好きな歌集を読んでいるんですけれども、ほんとに心に沁みますね。昭和二十一年のお生まれで、大学生時代に角川短歌賞を受賞。それ以来ずっと歌を詠まれてきました。平成十二年に乳癌が見つかって、手術前日に  
  「明日になれば切られてしまふこの胸を覚えておかむ湯にうつ伏せり」
病気がもう周りに判ってからでしょうね
  「挨拶のつもりで言ひくる誰彼のお身体如何もう放っといて」
ほんと、そうですよね。言葉を掛けるって難しいものだと思います。今、被災地の方は「頑張ってと言われるのがつらい、これ以上どう頑張るんだ」というふうに思うらしいですけれども、じゃあ何とお声を掛けたらいいのかと、声を掛けるほうも悩んだりもします。
 河野さんは病気を抱えて生きてきて
  「病むまへの身体がほしい雨上がりの土の匂いしてゐた女のからだ」
最後の最後は入院していて、薬の袋に走り書きしたり、娘さんに口述筆記してもらったりしながらいっぱい詠まれました。 彼女のご家族は学校の先生をしているご主人も娘さんも息子さんも歌人で、お互いの想いを歌にして伝えるという、ちょっとめずらしいご家庭です。
  「お母さんと言はなくなりし息子にお母さんはねえとこの頃よく言ふ」
  「ごはんを炊く誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい」
一日一日の、家の中に居て、子どもが遊んでいてといった日常生活。ご主人に対しての歌も多くあります。
  「今日夫は三度泣きたり死なないでと三度泣き死なないでと言ひて学校へ行けり」
  「あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて」
言葉ももう失くなっていくわけですね。その、言葉が失くなっていった気持をちゃんと残しているんですからすごいですね。そして、自分の人生を振り返ったんでしょうか。
  「さみしくてあたたかかりきこの世にて会い得しことを幸せと思ふ」
 こうやって河野さんの歌を毎日読んでいますと、やっぱり日々の些細な気持、日常の生活、こういったものを大切にして、自分なりにどうにかして穏やかに暮らしていく。そうでないと自分の幸せはないんじゃないか、幸せを感じることができないのではないか、そんなふうに思っています。

 最近、孫ぐらいの年齢のコンビニの店員さんに、ものすごい勢いで怒っている男の人を時々見かけます。何でこんなに怒るんだろうと思います。ストレスが多い世の中だと言えばそれまでなんですけれども、日々の気持をできるかぎり穏やかに暮らしたいものです。
 浄土三部経(阿弥陀経、観無量寿経、無量寿経)の中の無量寿経に「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉が出てまいります。和やかな顔と愛のある言葉。これは法蔵菩薩様が四十八の本願を立てられて阿弥陀様になる修行をするという場面で、その菩薩の頃のお姿を言い表した言葉です。自分の顔を自分で見ることはできませんので、なかなか難しいですけれども、特に男の方はこれを心掛けられたらいいと思います。電車の窓に映った自分の顔、恐い顔をしてませんか。ただね、にやにやして歩いてると思われても困りますけどね、にこやかに、きりっとして。その点女性はいいですね、にこやかな顔で歩いている人を見ると誰もが素敵だと思いますものね。
 いつも和顔愛語、これを心のどこかに置いておくことをお勧めします。
 そして前述の死ぬということ、自分のいのちの終わりということ、これも心のどこかに置いておく。そして忘れないようにする。それに囚われてはいけませんけれども、忘れないようにする。そんなことが大切なのではないかと思います。
 私自身は否応なしにお寺を継がなければならないという立場ではなかったんですが、何となく坊さんになるだろうなあと思ってきました。そして、ずっと子どもに仏教の話をする人でいたいと思い仏教系の学校で教員をしたんですが、日々生活指導や雑務に追われるばかりで、十年ほどで辞めました。その後、雑誌に記事を書いたり本の原稿料で生活したりもしました。でもやっぱり、坊さんで、お念仏をして、お袈裟を掛けて死にたいなあ、そういう最期を迎えたいなあと思うようになり、このような姿で生きるように、戻ってまいりました。
 そうして最期を見据えて、自分の置かれた状況の中で何ができるのかと考えると、本当に数少ないことしかできない情けない自分だということが判ります。しかしそれをやっていこう、情けない自分だけれどもその《いのち》を何とか全うしよう、というふうに思って微力ながら今も何とかやっております。
                   …貧血で昏倒した方がいて話を中断、後に再開…
最後に法然上人のお歌を紹介します。 
  「月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ」  
 阿弥陀さまの光明は全ての世界を遍く照らし、どんな人をも救い取られる。しかし、月が照っていても見ようとしない人には、そのみ光りに気がつきません。月を眺める人の心にこそ、月の光は映り、澄みわたるという意味です。
自分の心のありようをよく見つめて、その時々の感情に流されず、他人を変えることはできませんが、自分を心のありようを変えるのは、自分でしかありません。穏やかに日々の中に小さな幸せを感じ大切に過ごしたいものです。

(23.9.22「いのちを見つめる集い」より)
講演テープをご希望の方は仏教情報センター(http://bukkyo-joho.com/)までお申込下さい(千円送料込)

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