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共生山 法仙庵 月影寺(げつえいじ)

連載法話

  

仏教根本の教えについて

 仏教には多くの宗派・教えがあります。大きく分けて、出家者・在俗の暮しを続けている人との区別なくお悟りを得る「大乗仏教」と、出家者は戒律を守って修行に専念し、在俗の方はその修行を支える供養をすることで功徳を積む「上座部仏教」があります。
 そして、大乗仏教には北方から中国・朝鮮・日本へ伝わった北伝仏教や、ヒマラヤを越えて伝えられたチベット仏教などがあります。それに対して、上座部仏教は南方から東南アジアに伝えられたので南伝仏教ともいわれます。

 日本などの北伝仏教では、インドから寒い地方を経て伝わったので、お袈裟の下に各地域の着物を身に付けています。それに対して、南伝の仏教はインドと同じく暑い国なので、お袈裟しかつけません。見た目にもこのような違いがあります。
 また、日本の仏教にも多くの宗派があります。檀家さんのなかでも、親戚に違う宗派のお家があったり、霊場めぐりをして他宗派の法話を聞いたりする機会があるかもしれません。
お寺の本堂や仏壇の御本尊の仏さまも浄土宗では阿弥陀仏に決まっていますが、お釈迦さま以外や観音菩薩、不動明王など多くの仏さまを御本尊として拝んでいる宗派もあります。

 他の宗派には、坐禅を組んだり、護摩を焚いて祈祷したりするお寺もありますので、浄土宗のお寺とは全く違う印象をもたれることもあるのではないでしょうか。同じ仏教なのに、どこが違うのだろうと、疑問に思われる方もいらっしゃると思います。
 確かに違いは多くありますが、同じ仏教ですから、もちろん共通する教えがあります。その中から一つ『法句経』というお経に説かれた「七仏通誡偈」という偈文を紹介します。

 これは、七仏(お釈迦さま以前に存在した六つの仏とお釈迦さま)が共通して保った教えですから、多くの宗派に分かれた現在でも変わることなく、すべての仏教の教えの根本を要約したものと考えていいでしょう。

 中国、唐代に白居易(白楽天)という有名な詩人がいました。
 ある日、木の上で坐禅を組んでいる不思議な坊さんを見つけます。この方が鳥彙道林(ちょうかどうりん)和尚でした。

白居易が訊ねます。「和尚、仏教の大意(教え)とは、何だ!」
道林和尚がすかさず答えました。

「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)自浄其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」

これが、「七仏通誡偈」です。書き下してみると

「もろもろの悪を作さず すべての善を行い 自らその意(こころ)を浄くせよ 是が諸々の仏の教えなり」

 しかし、白居易は「そんなことは3歳の子供でも知っていますよ」と呆れて返します。すると、道林和尚は、「3歳の子供が知っていることでも、80歳の老人になっても行うことは難しいものだ」と説かれたそうです。

 お釈迦さまの教えには、難しいものばかりでなく、日々の暮らしの中で常に心に留めて、精進・努力するよう易しく説かれたものが多くあります。私たちは、お念仏を称える生活を通じて、少しでも、心を清らかに明るく暮らしたいものです。南無阿弥陀仏